本日も、ご都合主義日和。

優等生タイプが社会で感じるしんどい気持ちを紛らわすブログです。

飲み会がニガテな人が生きづらい世の中だと思う。

大学時代からサークルの飲み会が苦手だった。

大勢で飲むと大声をあげないと声が伝わらないし、

みんな面白いことを言わないといけないようなプレッシャーもある気がして、

開始後10分くらいで既に帰りたくなってしまう。

(つまり割と引っ込み思案で元来人付き合いがあまり得意ではないタイプ)

 

何よりお酒を飲むことが楽しいことだとはなかなか思えなかった。

酔ってもいい気分になることはないし、性格が変わることもない。

ただ頭が働かなくなって寝たくなるだけだから家に帰りたくなり、

飲み会に居ることが苦痛になってしまう。

 

会社に入ってからも好きになることはなかった。

同期飲み、若手飲み、部署飲み、○○会(何かと関連付けて老若男女の様々な部門のメンバーを集めて飲み会をするという風習が会社にはある)・・・

誘いを断らなければ毎日参加し続けられる頻度で様々な飲み会が開催されており、これで日本の経済は回っているのではないかと錯覚を覚えるほどに周りには飲み会が溢れていた。

 

困るのは断るのも面倒だということ。後々職場で会う人たち(一緒に仕事する人たち)だから、気まずくなるのも嫌だし、毎回理由を見つけるのも難しい。だから私はそれでも頻繁に断りながら週2〜3のペースで行っていた。お金もかかるし何より体力的(精神的にも)に疲れきってしまうので、なかなかのストレスだった。楽しめた飲み会は10回に1回くらいだった。それについては本当に感謝している。

 

一つ面白いなと思うのは、飲み会好きな人たちはだいたい「飲み会行った方がいいよ、そういうの大事だよ、仕事で助けてもらえるんだから」ということだ。今思えばそれは「飲んでいることの正当化というか、言い訳」みたいなものも大いに含まれてるのではないかと思う。息抜き、リフレッシュ、仲間作り、ストレス発散。楽しめる人たちにとっては言い訳という気持ちすらなくて本当に楽しくて人生を豊かにしてくれるものかもしれない。でも、行った方がいいという価値観を押し付けるのはおかしいと思う。「飲み会に参加するのが良い、参加しないのはよろしくない」という価値観には、10年以上飲み会が身近にある人生を送ってきた私にとって未だに違和感を感じてしまう。

 

楽しめない自分に問題があるのではというのも何度も考えたけれど、どうもどこを変えていいのか分からないし、何より自分を変えないといけないという自己否定のようなもののように感じて、そういう風に考えるのははるか昔にやめた。飲み会だけが苦手なだけで、人間関係に困っていないという点が自分にとっては大事なことだと思った。

 

さらに、仕事関係の人たちとのコミュニケーションの必要性を否定しているつもりはない。ただ、夜でなくても良い、お酒がなくても良い、大人数じゃなくて良いっていう主張がしたい。お昼休みにランチをするとか、夕方コーヒーを飲みながらお話するという方が性に合っている。その方が深い話ができて絆が深まる。私はそうやって自分にとって大事な人たちと親交を深めている。この方法が自分には一番合っていると思う。

 

主流は飲み会という形だけど、社会での人とのコミュニケーションの取り方も、多様性があって良いのではないかなと思う今日この頃でした。お金も掛からないしね。

ネットで調べても飲みニケーションの重要性を説くコンテンツが多くて、行かなくてもいいけど行ったら意外と楽しいものだとか、ニコニコしてればいいだけだとか、割と飲み会肯定の記事ばかりが巷に溢れているけれど、本質はコミュニケーションだから「飲み会」という形式にとらわれる必要はないと思うわけです。

 

こんなことを言いつつも飲み会がゼロというわけではなく楽しい会もあるけれど、私が居なくても居てもいいんだろうなと思う会については、もっぱら「歯が痛い」「風邪をこじらせている」「体調が悪い」など様々な理由で断ることにしている。「行ってみたら意外と面白かった」という体験は、私の場合に限れば、飲み会で起きないのだ。

 

以上、超個人的な意見でした。