本日も、ご都合主義日和。

優等生タイプが社会で感じるしんどい気持ちを紛らわすブログです。

ボスニア・ヘルツェゴビナのブロガーからのアドバイスまとめ

私はオンライン英会話にて、色々な国の先生とまるで日本人の友達とカフェでおしゃべりするようにフリートーク(もちろん拙い英語で、だけれど)をするということにハマっている。本当は英語スキルの向上という意味では、ボキャブラリービルディングと文法のインプットも必要なのだが、フリートークをしたり気になる英文記事を読んで社会問題についてディスカッションをする方が有意義で楽しいので、拙い英語力ながらそんな風に英会話をして自分の悩みや日々考えていることを話してみたり、意見を求めたりするというのを楽しんでいる。

 

そこで、偶然オンライン英会話の先生がブログを書いたことがあるという話をしてくれたので色々意見交換をした。会社でのストレスや働き方についてなど、自分自身が興味がとてもある話題について刺激的な意見交換ができたわけであが、その先生は20代だが母国でブログを成功させた経験もあり、しっかりして自分の意見を持っている聡明な方で、幾つか与えてくれた示唆をここで紹介したいと思う。

 

⑴ブログは現代社会の優れたストレス発散ツール。

まずは人の役に立てるという点で、とてもポジティブな行動だということ。日本各地の様々な世代・性別・立場の、同じ悩みを抱えている誰かに出会い、話ができるなんて奇跡ではないかと思えるくらい、今生き方は多様化している。元来人間には様々なタイプの人種がいるということも踏まえて、同じ悩みや価値観を持つ人を見つけるのは難しい。さらに、人は面と向かって職場や近くの人と自分のネガティブな話をするのは苦手なもの(そうじゃない人もいるだろうが)だし気が引けてしまうという人は多いと思う。しかし、人間は誰かと色々な感情をシェアすることで心が豊かになりストレスが軽減されるもので、特にネガティブな側面についてはシェアがもたらす効果は絶大だと思う。ブログに書くことは書いている本人も気持ちの整理になるし、しっかり深い内容を発信できるので、深い悩みや考えを同じ考えの人とシェアできるという唯一無二のツールでもある。書く側も人の役に立てるという期待も兼ねて書けるので前向きだし、読み手も自分と似た悩みを持っている人の存在を知ることは大きな心の支えになるだろう。

 

 ※ツイッターフェイスブックが台頭しブログはすたるかと思ったけれど、

 未だにたくさんの人がブログをしており、そこからブームが生まれ、影響を受けた人たちが集まってくるという事実を私は最近まで知らなかった。

 今はブログにそれだけの価値があるということをしっかり理解できている。

 

⑵ストレス発散方法は人それぞれ。ブログはある人にとってのランニングと同じ。

ストレスが溜まった時に、ストレス発散法には色々あって自分に合っているものを選ぶというとても当たり前の事実が存在している中で、以下のような選択肢の中にブログを書くというのが入っているのではないかというのが先生の主張。 

   ex ランニング・ヨガ・フットサル・ゴルフなどのスポーツ、旅行や温泉、

       料理や読書や映画鑑賞、美味しいご飯やスイーツを食べに行ったりお酒を飲む、

       お買い物をする・・・

もしブログを書くことでストレス発散になるのであれば、それは自分のためにも続けるべきだというアドバイスをいただいた。

 

⑶ブログの題材について、「人は誰しも既に沢山の経験を持っている。」

沢山の経験がブログの題材になるということに目を向けると、自分の過去の人生を全て肯定できるし、人の役に立つということで昇華させられるというのが彼女の主張。まさにその通りだと目からウロコ。そして完全合意。何か新しい知識を伝えないといけないのではないかとか自分に書けるネタはあるのかと不安になっていた時にとても励みになった言葉だった。自分が経験してきたことは十分にコンテンツになるという自信を持って、これからも書き続けていけたらいいなと思う。

 

それ以外にもコンスタントに書き続けること、頻度を安定的にすること、広告を入れてそこから収入を得ることなどのアドバイスもいただいた。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナのブロガーさんとこんな話ができるなんて思いもよらず、とても楽しい経験だった。彼女もまた職場のストレス(上司が嫌)から上司と仕事をしなくて良いように、会社で働くというワークスタイルを捨てて、ブロガーになり、オンライン英会話講師になったそう。自分のことをよく知って、見切りをつけて、自分の人生をうまくコーディネートしている様子がうかがえた。しなやかな生き方に逞しさと共に自立感を感じた。素敵だと思う。もっとこれからも色々なことについて話をしていき、刺激を受けたり共感をし合いながら、私も理想に近づいていけたらと思った。